ブラジルのあるコーヒー農園に視察に行ったときのこと。農園のなかで、大きな乾燥機が数多くならんでいる光景を見て、わたしはとてもおどろきました。収穫した生豆を、乾燥機を使って一気に乾燥させていたからです。
昔は乾燥機なんてありませんから、コーヒーの生豆は太陽の光にさらして乾燥させていました。
かつて、日本のお米もおなじように、太陽の光に当ててじっくり乾燥させていました。稲架(はさ)と呼ばれる横木に、稲束がかけられている風景は、一昔前ならふつうに目にできました。
しかし、今の日本でこの風景を見ることは、ほとんどありません。大量生産を追い求めた結果、ほとんどの米は機械乾燥にかけられるようになったからです。いまや天日乾燥によって作られたお米は超高級品です。しかし、これは仕方がないことかもしれません。天日乾燥はなんと言っても手間がかかるからです。
コーヒーも天日乾燥をおこなうには、ぼうだいな手間がかかります。生豆にまんべんなく太陽の光が当たるように、四六時中、人間が撹拌しなければなりません。雨が降ったりしたら、いそいで生豆にシートをかけて、雨に濡れないようにしなければなりません。手間がかかるということは、それだけお金がかかるということです。
しかし、コーヒーづくりにおいても効率を重視する動きが年々強まっています。効率を高めることで、より安い価格でコーヒー豆をつくるよう求められるからです。
将来的には、日本のお米作りの現場同様、天日乾燥をおこなっている風景は見られなくなるかもしれません。
それでも、ありがたいことに天日乾燥でコーヒーづくりを行っている風景は、まだ見ることができます。ですから、わたしたちは、生豆の仕入れ額が上がったとしても、彼らにその金額を払い続けようと考えています。
焙煎するものとして、天日乾燥を選択するコーヒー農園を守りたいと願っているからです。