いまは、わたしたちの業界でも、展示会が開催されるようになりました。そこでは、産地国から収穫されたコーヒー豆やコーヒー器具といったものが出品されます。また、焙煎機が出品されたりもします。
ある展示会に土居博司と一緒に訪問したときのこと。父がある焙煎機の前で足を止め、じっとにらみつけるように見ていたことがありました。
彼が見ていた焙煎機は、最新型でコンピューターが装備されたものでした。その焙煎機は火加減や焙煎時間の調整など、人間が行わなければならないことを、すべてコンピューターがやってくれるというわけです。コンピューターに数字を一度入力すれば、あと人間がすることは、ボタンを押すだけ。釜のメンテナンスもほとんど必要としないのですから、まさに人の手間いらず、です。
コーヒーにおいて大切なことは、味の再現性です。同じ銘柄は、いつも同じ焙煎度合いで仕上げることが求められます。そうでなければ、味がぶれるからです。
ただ、コーヒー豆は同じ農園のものであっても、収穫年度やロットによって違いがあります。その違いに合わせて、焙煎も調整する。ここが技術のキモです。そのとき、そのときの豆と対話しながらの焙煎は、ことさら集中力を求められます。土居珈琲の珈琲工房では一日中焙煎していますから、焙煎が終わったときは疲労で、机に突っ伏してしまうことも、めずらしいことではありません。
しかし、この最新型の焙煎機なら、こうした人間の苦労は必要としません。焙煎機の説明を聞きながら、「便利だなー」と正直思いました。そのとき、父も、やはり年をとってきていたので、じっとこの最新型の焙煎機を見る父を見て、導入を考えているのかと思いました。
ふと、その焙煎機の横に目を移すと、そこには、不良豆を取り除く機械がありました。コーヒー豆は、どんなに品質の高い銘柄であっても、かならず不良豆が混入しています。この不良豆が味を落としてしまう。ですから、土居珈琲では、人間の目で豆を見て、不良豆があれば取り除く「ハンドピック」という作業をしてします。
正直言って、このハンドピックは、地味で手間がかかる作業です。わたしは、これを機械がしてくれるなら、これほど便利なことはないと思いました。わたしの考えでは、最新型の焙煎機より、先に導入すべきは、このハンドピックをしてくれる機械のほうではないか。そう考えて、父に「あの機械、どう思う?」と聞いてみました。
父の返事は、こうでした。
「あんなもん、おまえが買ったら、おれはもう焙煎しない」。
機械であれば、人間よりも、はやく正確不良豆を取り除いてくれるかもしれない。いいことづくめではないかとわたしは思ったのですが、父の考えは違ったのです。
父いわく、「仏像も、人間が時間かけて手彫りするから、拝めるんや。機械で、ガチャンと作った仏像は、ぜんぶ、いっしょの顔してるかもしれんが、それじゃあ作った人の“気”が、はいらんやろ」と言うのです。
土居珈琲の珈琲工房では、いつも人の手作業で、ハンドピックが行われています。
「コーヒーは焙煎だけで美味しくなるわけやない。作った人間の気が入るから、美味しくなるんや。だから、『ハンドピック』も、焙煎同様、人がせなあかん」というわけです。
その言葉を受けて、疑問に思ったので、わたしは聞きました。
「さっき最新型の焙煎機、じっと見てたよね?コンピューターが自動的に焙煎してくれるって、すごく便利じゃない?」
父はこう答えました。
「ようできてると思うし、たしかにあれで焙煎したら、人が修行せんでも、全部同じ味のコーヒーができるかもしれん。けど、それで作ったコーヒーは、土居珈琲のコーヒーやないよ」。
「人間の手間をかけるから、作り出すコーヒーにその人の“気”がはいる」(土居博司 談)
土居博司から受け継いだ焙煎釜は、焙煎もメンテナンスも手間がかかる古いタイプのものばかりです。
「すごく長い時間、焙煎機見てたじゃない?買おうかと思ったから、じっと見てたんやないの?」
わたしの言葉を受けて、父はこう答えました。
「あの焙煎機の色が、若いころ欲しかった車の色と同じやったから、なつかしかったんや・・」
そら、おやじ、わからんわ・・・。