コーヒーは世界中で楽しまれ、その地に住む人々の生活に浸透しています。そして、それぞれの国で異なるコーヒーが存在する。
土居珈琲 土居陽介が、旅の中で体験した「コーヒー」旅行記をお届けします。
人生の中で、かならず行きたい国というものが、人にはあるのではないでしょうか?
わたしにとって、イタリアはそう考える国のひとつでした。
その理由は、コーヒーの産地国を訪問した時、現地の農園オーナーと話しながら、彼らの多くがヨーロッパ、とくに「イタリア」のコーヒー市場に重点をおいて味作りをしていることを感じていたからです。イタリアと日本とでは、コーヒーを楽しむ歴史の長さは、比ぶべくもありません。
たしかに、イタリアのコーヒー会社は、品質の高い銘柄をより多く買い付けていく傾向はあります。はたしてイタリアのコーヒーは、日本のコーヒーより本当に美味しいのか。自分の舌でたしかめてみたかったのです。
その「答え」をたしかめるために、訪問する都市として選んだのが、「ヴェネチア」。イタリア北東部に位置する都市です。
運河が町のなかを縦横に走る「水の都」。この都市に足を踏み入れるためには、船に乗って行かなければなりません。この都市に足を踏み入れた人間が、まず驚かされるのは、街全体がまるで迷宮であることでしょう。地図を片手に向かっても、目的とする場所に辿りつけない。
迷いながら街を探索し、やっと見つけたのが一軒の「バール」。
「バール」とは、エスプレッソコーヒーを中心に提供されるイタリアのカフェです。イタリアで飲まれるコーヒーのほとんどは、エスプレッソ抽出されたもの。日本で主流の、ドリップ抽出したコーヒーは、まずメニューにありません。
じつは、このエスプレッソ抽出されたコーヒーが主流であることが、イタリアのコーヒー会社が、より品質の高い銘柄を必要とした理由のひとつです。
エスプレッソ抽出する場合、通常より深い焙煎度合いで仕上げなければなりません。品質の低い銘柄は、深い焙煎度合いには耐えられません。深い焙煎度合いに耐えうるコーヒーとは、味の成分を、より多く有する品質の高いものです。
これが昔から、イタリアのコーヒー会社が、より品質の高い銘柄を必要とした理由です。
イタリア人たちは、この「バール」に集い、その日一日の中にあった出来事を仲間と話しながら、1杯のエスプレッソコーヒーを楽しみます。「バール」は、ほとんどが立ち飲み。 そして、バールでエスプレッソコーヒーを抽出する人を、「バリスタ」と呼びます。
バールで働くバリスタは、エスプレッソ抽出において、独自の技術をもち、「このバリスタがたてたエスプレッソでなければ」と考えるファンが、それぞれのバールを支えています。また、このエスプレッソに「グラッパ」という強いお酒を加えて飲むメニューがあるのも、イタリアのバールならではの風景。
訪れたバールで、エスプレッソをオーダーし、そのカップのコーヒーを口にする。出されたエスプレッソは、より強い苦味と濃厚なコクが表現された味でした。そのとき、自分に出されたエスプレッソの味を、日本でのコーヒーの味と比べて評価しようとしている自分が、とても小さく思えたのです。
エスプレッソを手にしながら、目の前に広がる建物や運河など独特の風景。この風景は、そこに住む人々が長い歴史を経て作り上げたもの。
そして、このエスプレッソの味も、この都市で暮らす人たちの食文化と密接にからまりながら、長い時間をかけて、そこに住む人のために作り上げられたものであることを感じたからです。
たしかに、この「エスプレッソ」の味だけをもってすれば、わたしは、この味を高く評価しなかったかもしれません。
しかし、そんなことは小さなことであって、ヴェネチアという特別な空間で楽しむこのエスプレッソの味わいは、わたしにとって、その瞬間、その環境。
そしてそこで提供される料理の味と、もっともマッチしたものだったのです。
「その場所、その環境、そしてそこに住む人の食文化にあわせたコーヒーの味がある」。
このことを、ヴェネチアのコーヒーは、わたしに教えてくれたのでした。